2026/05/23 16:41

  紹介文

 鎌倉で生まれ育った修一。
その誕生から、著者の子供時代を絡めて、古都ならではの風物詩も交えながら描いてみました。
著者は藤沢に住んでいた頃がありますので、鎌倉は身近でした。
懐かしいのです。
そこで、鎌倉を故郷にしてみようと思い立ったしだいです。
元八幡と呼ばれている由比の若宮。
光明寺の夜店。
鎌倉宮の前夜祭の盆踊り。
また鎌倉へ帰りたいなあ、そう思って執筆いたしました。
修一の楽しい子供時代。
やがて青年期を迎え、好きだった紀美ちゃんとのお別れ。
作家として自立できない修一は、渋谷の牛乳販売所で住み込みで働きながら執筆をつづけるのですが、本が売れないことが苦になり、統合失調症を患ってしまいます。
でも、小さい頃から親しんできていた信仰と、精神科の薬のおかげで救われるのです。
鎌倉の自宅へ戻っていた修一は、啓子と知り合います。
それは鎌倉市川喜多映画記念館での偶然の出会いから始まったのです。
そして結婚。
しかし、新婚旅行の帰りの飛行機の事故で啓子を失ってしまうのです。
ところが驚くことに、やがて啓子が生きていたことが分かるのです。
でも運命のいたずらか、記憶喪失で何も覚えていません。
愛する啓子が生きていてくれたのに、修一のことが分からないのです・・・・・。
鎌倉山サナトリウムで過ごす二人。
はたして二人は、幸せになれるのでしょうか・・・・・。
(この作品は400字詰め原稿用紙148枚の作品です。)

   はじめに
      
 鎌倉で育った修一の子供時代からの幸せな日々。
そうして青年期を迎えます。
修一の悲喜こもごもの半生を、鎌倉の風物詩とともに描いてみました、どうぞお楽しみ下さい。







   一 青春

      二 幼い日々

   三 ひよこ

   四 初恋のころ

   五 小学探偵団

   六 お別れ

      七 文学への道

   八 荒ら波

   九 夜明け




   鎌倉物語
                 藤本英明
                          
   一 青春

 湘南の古都、鎌倉。
温暖で住みやすく、天候に恵まれている。
山は低いが海辺まで続いていて、一様に丸みがある。
砂浜に打ち寄せる波が、フジノハナガイを洗い、いさり船のエンジンが軽やかな音を立てて、白い航跡を残す。
かもめが白い。
潮風。
 「ギーッ!ギーッ!・・・・・。」
一艘の手漕ぎの舟が砂浜に沿うように進もうとしていて、先ほどから艪《ろ》を軋《きし》ませているのですが、あまり動いているようすもなく、漕ぎ手の不慣れなことが窺えます。
「浜ちゃん!大丈夫かい。」
「大丈夫だよ。まかしといてくれ。」
舟は、浜ちゃんちの物だから、下手とは認めたくないのでしょう。
鉄ちゃんと修一は、艪を漕いだことがないので、まかせるしかないのです。
三人は中学一年の同級生で、鉄ちゃんが浜ちゃんと仲良しだったおかげで、その鉄ちゃんと仲良しの修一は、かねてより一度は味わってみたいと思っていた、艪漕ぎの船とはどういうものか、それを体感しているのです。
映画やテレビでは見たことがあるのでしょうけれど、オールで漕ぐボートより難しいようです。
それにしても舟が進みません。
先程から砂浜の景色が、ほとんど変わらないのです。
舟から見る砂浜は、また一味違っていて、いつも見慣れている砂浜なのですが、なんだか別の砂浜のようにも感じられます。
向かう方角は山が海辺の近くまで迫っていて、いつになく新鮮な感動を味わっているようです。
「漕いでみるかい?」
いきなり浜ちゃんに言われて修一は少し戸惑ったようですが、先ほどから浜ちゃんが漕いでいるのを見ていると、なんだか自分にも出来るような気がしていたので、いい機会でもあるし、代わってみます。
教えられるままにやってみると、なんとか出来ているようではあっても、浜ちゃんが漕いでさえ、ほとんど進まないものが、自分がやって、果たして進んでいるのかどうか、とても進んでいるとは思えないのです。
鉄ちゃんもやってみるのですが、一応様にはなっているようでも、やはり、ここは浜ちゃんに任すしかないでしょう。
交替するとき舟が揺れるので、少し恐かったようです。
すわって海水に手を浸してみると気持ちよく、水がきれいなのは分かるのですが、透明度が低いので、底に何が潜んでいるのか分からない、そんな恐さを感じさせます。
修一は海で泳ぐとき、また、ボートに乗っている時、いつも、そんな恐怖感を覚えるのですが・・・・・、(みんなは、そんな事ないのだろうか・・・・・?)などと考えているうちに、ようやく舟は砂浜を横切って、逗子マリーナを横目に見ながら角を回り込んでゆくのです。
ここまでくれば漁港が見えてきて、この冒険もこれまで。
修一は、短くとも又とない舟遊びに、友達のありがたさを感じながら、名残を惜しみつつ舟を降りました。
おかげで、その日は何だか身体が揺れている感じが終日続いていて、軽い船酔いでもしたのではないかと思われるほどでした。

 一夜明けて・・・・・。
修一は、その日もお参りに出かけるのですが、さっそく夏の早朝の気分を味わいながら家を出てしばらく歩き、そろそろ由比若宮が近くなってきたな、というところまで差し掛かります。
すると、やはり向こうから、お参りをするらしい一人の若い女性が歩いてくるのが見えます。
どうも紀美ちゃんらしいのですが・・・・・。
やはり紀美ちゃんです。
夏らしく、彼女は、薄手のワンピースを着ているので、それに体の線がきれいに出ていて、
思わず、はっとさせられました。
(すっかり女らしくなって・・・・・・。)
彼女とも同い年なのですが、女として意識したのは、この時が初めてだったのではないでしょうか。
(女って美しいものだなあ・・・・・。)
改めて感じている修一。
思ってはいけない事を思っているような、それでいて、抑え難い思い。
それは彼女にも感じ取れたらしく、なんとなく恥じらいを見せています。
修一は、いつになく男になっていました。
彼女が先に鳥居をくぐります。
修一も無言で後に続きます。


 この由比若宮は相模守であった源頼義が奥羽(東北)での戦に勝利し京に帰る途中、一〇六三年(康平六)に鎌倉に立ち寄り、この地に源氏の守り神である石清水八幡宮の祭神を移しまつったといわれています。
源氏と鎌倉とのつながりができた最初です。その後、源頼朝が現在の鶴岡八幡宮がある場所に社殿を移してから、ここは元八幡と呼ばれるようになったといわれています。


 まだ朝の早いうちなので、柏手の音が清々しい空気を裂くかのように響くのです。
「ピシッ!ピシッ!」
お参りをすませると彼女が声を掛けます。
「修一っちゃん、おはよう。」
「おはよう、紀美ちゃん。
ワンピースがよく似合ってるね。
素敵だよ。」
「ありがとう!」
紀美ちゃんは少しばかり、はにかみます。

 青い空には白い入道雲がむくむくと湧きあがり、山からは蝉の声がシャワーのように降り注いでいます。
境内には打ち水がされていて、社務所の窓辺に咲いている斑入りの赤い朝顔には小さな水玉が宿り、軒の風鈴がチリリンと微かな音を立てていました。

  二 幼い日々

 時計の針が逆回転を始めます。
どんどん時を遡ってゆきます。
どんどん・・・・・。
どんどん・・・・・。
そして、まだ修一が生まれる前にまで逆戻りしました。

 あれは、そう。
寒い頃でした。
木枯らしが舞い。
木々の枝々を震わせて。
木の葉を散らしてゆく。
そんな或る日・・・・・・・・・・。
 鎌倉の産婦人科病院の一室には、母のなつと、父、修がいました。
「ごくろうさんだったねえ。
よく男の子を産んでくれたよ。
ほんとうに、ごくろうさま。」
「喜んでもらえて・・・・・・・・・・・・
何よりです。・・・・・・・・・・。」
二人には四人の娘たちがいましたが、男の子は一人を亡くしていて、二人目だったのです。
それだけに、修の喜びも、ひとしおでした。
「お父さん、男の子は未だ育てた事がありませんから、よろしくお願いしますよ。」
「そうだねえ、一人亡くしてるからねえ、今度は無事にそだてたいよ。」
「そうですねえ。
あのときは残念でした。
この子は何としても元気に育ってほしいですね。」
「そうだねえ。
ぜひ、元気に育ってほしい。」
「頑張りましょうね。」
なつは優しい目で修を見遣りました。
「どうだい、気分は。」
「悪くありません。」
「そうかい、それはよかった。
何か食べたいものはないのかい。」
「そうですねえ。
今は、これといって別に・・・・・・・。」
「そうかい、なにかあったら言っときなさい。
いつでも持ってくるから。」
「すみませんねえ。
うちの方は大丈夫ですか?
みんな変わりはないでしょうか。」
「大丈夫だよ。
まあ、なんとかやってるから。
心配は、いらないよ。」
「そうですか。
よろしくお願いしますよ。」
「みんな弟ができて喜んでるよ。
私も楽しみだ。
二人が元気で早く帰ってくるのを待ってるから。」
「あっ!
そうそう、お父さん、そろそろ帰らないと病院が閉まってしまうんじゃないんですか。」
「あっ、そうだった、そうだった。
うっかり忘れてたよ。
それじゃあね。
あした又くるから。
気を付けてね。
おやすみ。」
「おやすみなさい。
お父さんも、気を付けてくださいよ。」
「分かった、分かった。
それじゃあね・・・・・・。」
修は静かに、しかも急いで部屋を出ていきました。
窓から見えている商店街には、さっきまでともっていた明かりが一つ消え、二つ消え、しだいに人通りもまばらになってきているようなのです。
ところが、しばらくすると又お父さんが戻ってきたので、なつは何か忘れ物でもしたのかと思っていると・・・・・・・・・。
「あははは・・・・・締められてしまった。
ちょっと看護婦さんを捜してくるよ。」
そう言いながら、また行ってしまいました。
病院の窓から見えている澄んだ夜空には星々がまたたいていて、冬の星座たちも優しくほほえんでいるかのようでした。
それからも、しばらくの間は修の病院通いが続いていましたが、やがて、なつも退院し、生まれたばかりの修一を連れて戻ってきたのです。
それからというもの、筅家では一人息子を授かった喜びに包まれていました。
修は修一を抱いてお風呂に入るときも、耳にお湯が入らないようにと、指で両耳をふさいでやるのです。
「お父さん、着替えはこっちへ置いておきますよ。」
「ああ、ありがとう。」
お風呂が終われば夕食が始まります。
「わあ、お母ちゃん、どうしたの。
お刺身いっぱいあるねえ。」
「ぜんぶ切ったから。」
「あはは・・・・・、お刺身は一遍に、こんなにたくさん切るもんじゃないよ。」
修が窘《たしな》めます。
「私は、お刺身が好きだからね。」
「ははははは・・・・・・・。」
 修は、けっこう風流人でした。
お茶を嗜《たしな》み、俳句を詠むのです。
子供たちにお茶の稽古《けいこ》をさせる事もあれば、
仕事の手を休め、一句ひねっていることもあります。
そんな修の影響を、なつも自然に受けていました。

 それから季節は巡り、半年以上も過ぎたころ・・・・・。
暑かった夏も終わろうとしていて、滑川で遊んでいた人たちの姿も見掛けなくなり、山の虫たちも、そろそろ秋の便りを届けてくれる頃で、この歴史ある土地にも時は静かに流れています。
そうして、ゆっくり、ゆっくりと秋は深まってゆくのでした。
 今日は、お月見です。
二階の部屋の窓際には、すすきをあしらい、お団子を用意して、みんなで楽しんでいます。
子供たちはお団子に目がなく、その、かしましいこと・・・・・・・・。
でも修は静かに味わっていました。
「お母さんも一句つくってごらん。」
「そうですねえ・・・・・・・。」
しばらく一緒になって味わっていましたが・・・やおら、ひらめいたのでしょう・・・表情が明るくなって・・・・・。


 月よりも団子だんごと
          騒ぐ子らかな

  
と詠みあげました。
「うん、それはいい。」
修が褒《ほ》めます。
ときおり雲に隠れながらも、こうこうと輝くきれいな月が一家だんらんを見守ってくれているようで、このままの時が、いつまでも続けばいい・・・・・そう思われるほど、なごやかでした。
 ところが、そんな筅家を予期せぬ不幸が襲います。
修は小町通りで、時計・眼鏡・楽器・レコードなどを商う家業を営んでいるのですが、時計の修理の細かい仕事に根を詰めるなど、心労が重なったのでしょう、ある夜、突然、仕事場で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。
これには、なつも茫然とするばかり。
でも今は、家業を引き継ぐしかありません。
そんな、なつの心の支えになったのが、修と共にしていた信仰で、お参りのたびに聞くお話に勇気づけられ、商売に、子供たちの世話にと心する、なつなのでありました。
そうしているうちに、次女が良い縁談に恵まれ、嫁いでいったのです。

 それから歳月はながれて・・・・・。
いつしか修一は五歳を迎えています。
ときおり雪がちらつくこともあり、それが、この地方では珍しい事でもあってか、どこの子供たちも大はしゃぎです。
「わぁーいっ!
雪だあーっ!」
「これ、これっ!
気をつけなさいよ!」
「わぁーいっ!
わぁーいっ!」
「♪雪やコンコン、あられやコンコン、降っても降っても未だ降りやまず・・・・・♪」
「雪だるまを作ろう!」
「ちょっと雪が足りないんじゃないのかねえ!」
まわりの山も、うっすらと雪化粧していて、どこかの雪国にでも迷い込んだかと錯覚させられるほどです。
でも、すぐに溶けてしまうので、惜しまれる風情でもありました。

 時は巡ります・・・・・。
「修一っちゃん、早くおいで。」
「緑ちゃん、待ってよ。」
一つ上の姉の緑は幼い修一を連れて鶴岡八幡宮のそばの横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校へ行くところなのです。


 鶴岡八幡宮は全国でも有数の八幡社として、一年を通して多くの参拝者が訪れます。
社前から由比ヶ浜海岸へとまっすぐに伸びる若宮大路は、中央に段葛《だんかずら》と呼ばれる一段高い参道があります。
これは、かつて源頼朝が妻・政子の安産祈願として作られた参道と伝えられ、春には満開の桜が咲き誇り、桜並木のトンネルがこの参道を華やかに飾ります。


 小中一貫校である、附属鎌倉小学校・中学校の共通の学校教育目標として、「自立に向けてたくましく生きる~夢ふくらませ,心あたたかく,力あわせる~」を掲げており、教職員だけでなく、子ども自身も保護者も「自立」を本校のキーワードとして意識しています。
「なりたい姿」として自分のめあてを立て、自分で意識し、考えて行動することができているか学期ごとに振り返っています。
また、校内研究では「自立と共生を軸に据えた教育課程の創造~生活に生きる力の育成を目指した授業デザイン~」を主題に、「自立」と共に「共生」を意識し、授業研究を行っています。


 「修一っちゃん、この花見てごらんなさい。
こうして、この瓶の中へ詰めるのよ。
こうして一杯ね!
どう、匂いを嗅いでごらんなさい。」
「うわぁーっ!
いい匂いだね。
香水みたいだ!」
適当に寄り道をして楽しみながらの登校です。
 校舎は何度か建て替えられてきているようで味わい深く、これまでに多くの学童たちを育んできているのでしょう、ほのぼのとした温もりに包まれています。
 今、授業が始まっているようで、修一は、というと・・・・・。
緑の机の横の床へ座り込んで、ぬり絵をしているのです。
先生は、緑のお母さんが忙しいので、緑が弟の世話をしているのを承知ですから何も言いません。
修一も騒ぐでもなく、おとなしくしているのでした。
 時は更に巡ります・・・・・。
窓の外には広い運動場が広がっていて、ときおり木枯らしが落ち葉を舞い上げ、洒脱なダンスを踊らせています。
そんな学校から、そう遠くないところを流れている滑川は、材木座と由比ヶ浜の間の河口へと続いています。
そこは子供たちの恰好の釣り場でもあり、よく投げ釣りをしている姿を見掛けるのです。
みんなにはキャスティングポイントと呼ばれて親しまれていました。

  三 ひよこ
    
 ある日のこと・・・・・。
なつは光明寺の夜店で修一に声を掛けました。


光明寺の開創は、一二四〇(仁治元)年に第四代執権北条経時が然阿良忠を開山に迎えて佐助ヶ谷に創建した蓮華寺を、一二四三年(寛元元)年に現在の地に移して光明寺と改めたのがはじまりといわれています。
経時がなくなった後も、時頼をはじめ代々の執権が敬った寺院です。

光明寺の行事で有名なのは「お十夜」です。
光明寺第九第住職の観誉祐祟が、後土御門天皇の命令で、宮中で人々の安らかな暮らしや作物の豊作を祈る「十夜法要」を勤めたことにより、観誉祐祟が高徳なことに感心した天皇が、一四九五(明応四)年、光明寺を勅願寺とし、光明寺で十夜法要を行うことが許されたと伝えられています。


 「修一、見てごらん、ひよこだよ。
可愛いでしょう。」
「わあっ!可愛いなあっ!」
「どうだい、飼ってみるかい?」
「うん、飼ってみる。」
そうして母は修一に、ひよこを買ってやりました。
そして直ぐにボール紙の箱を利用して、ひよこの家を作ってやったので、修一は興味津々のようです。
ひよこの家には裸電球が差し込まれているので暖かいのでしょう、親鶏《おやどり》に寄り添うかのように、ひよこは電球のそばに立ったまま目を細め、やがて、うとうとと眠り始めます。
クリーム色の柔らかな羽毛に包まれて、フサフサ、ムクムクです。
「ピー子!ピー子!」、そう呼びながら修一は畳を指先で「トン、トン、トン、トン!」と叩きます。
すると足早に「チョコ、チョコ、チョコ、チョコッ!」と、ピー子は駆け寄ってきます。
そして赤ちゃんらしい声で「ピィーヨ、ピィーヨ!」と鳴くのです。
赤ちゃんと遊ぶのが楽しいのでしょう、何度でも繰り返します。
一日中やっていても飽きないくらいのようです。
抱き上げてやると、手に、その柔らかさと温もりが伝わってくるので、思わず頬ずりをしてしまいたくなるのです。
そおっと畳へおろしてやると、あっちへ行っては「ピィーヨ、ピィーヨ!」、こっちへ行っては「ピィーヨ、ピィーヨ!」、修一が歩くと、チョコマカと足に纏《まと》わりついてくるので危なくてしかたがないのです。
思わず踏んづけてしまったのではないかと、ハッとさせられることもあります。
お母さんに教わった、ひよこ草を取ってきて与えたり、水をやったりと、甲斐甲斐しく世話をしているのです。
絶好の遊び相手ができたのでしょう、夢中になっています。
そんな修一を見て母や姉たちも微笑ましくて仕方がないようです。
ところが、ひよこを飼うのは大人でも難しいでしょうから仕方がないのですが、とうとうピー子は死んでしまったのです。
せっかくの遊び相手が死んでしまったのでは、大人でも辛いでしょう。
ましてや子供のこと、修一の嘆きは、いかばかりだったでしょうか。
それは、はかり知れません。
すっかり気落ちしてしまって、ひとり泣いている修一。
声にこそ出しませんが、それだけに悲しみは深いのでしょう。
母や姉たちも思いやり、気遣います。
みんなで集まって、お仏壇に手を合わせ、お祈りをするのです。
その後、みんなで中庭にピー子を埋葬してやりました。
修一は呼びかけます。
「ピー子、ごめんね。
何もしてあげられなくて・・・・・。
楽しかったよ、ありがとう。
また会えたら、一緒に遊ぼうね!」
そうして、みんなでピー子とお別れをしたのです。
それは光明寺のお十夜が終わってから十一日が経った頃のことでした。

 緑が近所の友達と遊ぶ時にも、修一は一緒に遊んでもらうことが多く、広場の辺りは、みんなのお決まりの遊び場で、よく缶けりなどをしています。
もっとも修一は、緑に付いて回るだけなのですが・・・・・。
「修一っちゃん、早くおいで、隠れるわよ!
シーッ!黙ってなさい!
喋っちゃ駄目よ!」
緑の後ろにくっついている修一。
それでも面白いのでしょう。
スリルを楽しんでいるようです。
また家では、お手玉や、おはじきの仲間に入れてもらうこともあり、時には、緑が友達とバレエの稽古をするのを見ていたりもするのです。
あるいは山へ、みんなと一緒に行くこともありました。
 今日は、緑と仲良しの、隣の家の姉妹の所へ一緒に遊びにいっているようで、みんなで掘りごたつを囲んで楽しそうにしているのです。
どうやらトランプをやっているらしいのですが、そこへ、おじさんがやって来て、押し入れの戸を開けて何やらゴソゴソやっています。
何かと思っていたら、みかんを出してくれるのです。
「わあ、ありがとう。」
みんなは喜んで食べ始めました。
この家の人たちは皆とても親切で、修一としては、この家庭的な雰囲気が大好きらしく、この家の子になってもいいぐらいに思っているようです。
家でも、お茶のお稽古をしたり、月次祭《つきなみさい》には、みんなと一緒に、お参りをしたりもしています。

 山の坂を少し登った所にある日本風のたたずまいは落ち着いていて、なかなか風情があります。
広間には着物姿の緑や、よそのお姉さんたちがお琴を奏でているのです。
月次祭《つきなみさい》です。
いつにない華やかさに包まれ、少し、かしこまりながらも、鯉の泳いでいる庭の池をガラス戸越しに見るのも常で、お参りは修一に取っても悪いものではないようです。
それに、この辺りは、よく夜回りで、みんなと回っているのです。
 「カチッ!カチッ!」
「 カチッ!カチッ!」
年長者が拍子木を叩きます。
「マッチ一本火事のもと。」
「おばさん、おくどの下は、どうですか。」
「カチッ!カチッ!」
大きな声で注意をして回るのです。
これは又、修一の楽しみの一つでもありました。

 ところが商売の方は、だんだん振るわなくなってゆき、だいいち時計を修理することのできない、なつは、ますます行き詰まってしまい、悩んだ結果、お好み焼きの商売を始めたのです。
子供たちに食べる苦労をさせたくないとの思いからでしたが、お客様にも好評を博し、どうやら難所は漕ぎぬけたようで、船は沈没を免れました。
そうして日々の暮らしが立つようになっていったのです。

 朝参りにも家族総出で出かけ、早朝献身のお掃除をしたり、皆さんの体験談に耳を傾けたりしています。
中には宗教家になるという人もいて、その意気込みには感心するばかりです。
修一は、とても皆さんのようには信仰できないなと思って、内心しり込みをしています。

 お参りの帰りには、よく若い者同士で、そばの山へ登ってみることもあるのです。
頂上へは朱の鳥居が連なっていて、お稲荷さんが祀られているようです。
山は海辺近くまで続いていて、そこの砂浜へも良く行くらしく、今日も、みんなで寄り道をしています。
きれいな砂浜です。
静かに波の音がしています。
寄せては返し・・・・・・・。
寄せては返し・・・・・・・。
汐風が未だ少し冷たく、ときおり頬を撫でながら潮の香を運んで砂浜をわたり、そのまま家々の庭を巡って空へ戻る頃、どこかで目白が鳴いています。
梅の花の蜜を求め、木から木へ飛び回っているようで、ひょっこり庭へ顔を見せるかもしれません。
そんな早春の一日でした。